1530-63年。フランスの小都サルラ生まれ。早くにオルレアン大学に進学、法学とともに人文学への造詣を深める。54年にボルドー高等法院に評定官として着任、のちに同僚となるモンテーニュと友情を結ぶ。相次ぐ宗教争乱に対して、宮廷の宥和政策を支持し事態収拾に奔走したが、63年病に倒れモンテーニュに看取られながら世を去った。『自発的隷従論』は16歳か18歳のときに書き上げたとされる。

エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ

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