阿部謹也
( あべ・きんや )1935年、東京に生まれる。1963年、一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。小樽商科大学教授、一橋大学教授、一橋大学学長、共立女子大学学長などを歴任。『中世を旅する人びと』『西洋中世の男と女』『中世の星の下で』『自分のなかに歴史をよむ』『ハーメルンの笛吹き男』『「世間」への旅』「阿部謹也著作集」全10巻(以上、筑摩書房)、『「世間」とは何か』(講談社)、『物語 ドイツの歴史』(中央公論新社)、『阿部謹也自伝』(新潮社)など多数の著書がある。2006年9月没。
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《ハーメルンの笛吹き男》伝説はどうして生まれたのか。13世紀ドイツの小さな町で起こったひとつの事件の謎を、当時のハーメルンの人々の生活を手がかりに解明、これまで歴史学が触れてこなかったヨーロッパ中世社会の差別の問題を明らかにし、ヨーロッパ中世の人々の心的構造の核にあるものに迫る。新しい社会史を確立するきっかけとなった記念碑的作品。
第1部 笛吹き男伝説の成立
はじめに
第1章 笛吹き男伝説の原型
グリムのドイツ伝説集/鼠捕り男のモチーフの出現/最古の史料を求めて/失踪した日付、人数、場所
第2章 1284年6月26日の出来事
さまざまな解釈をこえて/リューネブルク手書本の信憑性/ハーメルン市の成立事情/ハーメルン市内の散策/ゼデミューンデの戦とある伝説解釈/「都市の空気は自由にする」か/ハーメルンの住民たち/解放と自治の実情
第3章 植民者の希望と現実
東ドイツ植民者の心情/失踪を目撃したリューデ氏の母/植民請負人と集団結婚の背景/子供たちは何処へ行ったのか?/ヴァン理論の欠陥と魅力/ドバーティンの植民遭難説
第4章 経済繁栄の蔭で
中世都市の下層民/賎民=名誉をもたない者たち/寡婦と子供たちの受難/子供の十字軍・舞踏行進・練り歩き/四旬節とヨハネ祭/ヴォエラー説にみる<笛吹き男>
第5章 遍歴芸人たちの社会的地位
放浪者の中の遍歴楽師/差別する側の怯え/「名誉を回復した」楽師たち/漂泊の楽師たち
第2部 笛吹き男伝説の変貌
第1章 笛吹き男伝説から鼠捕り男伝説へ
飢饉と疫病=不幸な記憶/『ツァイトロースの日記』/権威づけられる伝説/<笛吹き男>から<鼠捕り男>へ/類似した鼠捕り男の伝説/鼠虫害駆除対策/両伝説結合の条件と背景/伝説に振廻されたハーメルン市
第2章 近代的伝説研究の序章
伝説の普及と「研究」/ライプニッツと啓蒙思潮/ローマン主義の解釈とその功罪
第3章 現代に生きる伝説の貌
シンボルとしての<笛吹き男>/伝説の中を生きる老学者/シュパヌートとヴァンの出会い
あとがき
解説 石牟礼道子「泉のような明晰」
参考文献
日本では鎌倉時代後期にあたる1284年。ドイツ北部の小都市ハーメルンの町にネズミが大繁殖し、人々を悩ませていた。ある日、町に笛を持ち、色とりどりの布で作った衣装を着た男が現れ、報酬をくれるなら街を荒らしまわるネズミを退治してみせると持ちかけた。ハーメルンの人々は男に報酬を約束した。男が笛を吹くと、町じゅうのネズミが男のところに集まってきた。男はそのままヴェーザー川に歩いてゆき、ネズミを残らず溺死させた。しかしネズミ退治が済むと、ハーメルンの人々は笛吹き男との約束を破り、報酬を払わなかった。
約束を破られ怒った笛吹き男は捨て台詞を吐きいったんハーメルンの街から姿を消したが、6月26日の朝(一説によれば昼間)に再び現れた。住民が教会にいる間に、笛吹き男が笛を鳴らしながら通りを歩いていくと、家から子供たちが出てきて男のあとをついていった。130人の少年少女たちは笛吹き男の後に続いて町の外に出てゆき、市外の山腹にあるほら穴の中に入っていった。そして穴は内側から岩でふさがれ、笛吹き男も子供たちも、二度と戻ってこなかった。物語によっては、足が不自由なため他の子供達よりも遅れた1人の子供、あるいは盲目と聾唖の2人の子供だけが残されたと伝える。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より一部引用』)
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